「エンプラ・PM型」カスタマーサクセスとは?──大企業向けSaaS導入を成功に導く4つのステップ
大企業(エンタープライズ)へのSaaS製品の導入において、現場での利用がなかなか進まなかったり、既存の業務フローに合わせるための無理なカスタマイズ要求が続いたりといった課題をよく耳にするかと思います。このような壁に直面し、プロジェクトが停滞してしまうケースに悩まされることはないでしょうか。
デジタルトランスフォーメーション(DX)の推進が企業の重要のテーマとなる中、業務の効率化や生産性向上を期待してのSaaS導入は、あらゆる産業で急速に進んでいます。
しかし、システムを契約しアカウントを発行した段階で「導入完了」と見なすのか、はたまた、現場の「定着」までをオンボーディングの活動指標(KPI)にするのかで、その後の成否は大きく分かれます。
最初が肝心と言われるように、現場の担当者がツールを使いこなすところまでのサポートが不足していると、結果として期待された投資対効果(ROI)を創出できず、解約(チャーン)に繋がってしまうケースも少なくありません。
こうしたエンタープライズ企業特有の強固な組織の壁を突破するためには、従来の「ツールの使い方を教える」というカスタマーサクセスの枠組みを超え、プロジェクトマネジメントの観点から深く踏み込んで伴走することが求められます。
前回の記事「求人票(JD)から読み解く「4つのCSタイプ」──なぜ今、“操作説明だけではない”役割が求められるのか」では、実際の求人票データをもとに、カスタマーサクセスが4つのタイプに細分化されている現状を解説しました。今回はその中でも、業務変革のリーダーシップが求められる「エンプラ・PM型」に焦点を当て、SaaS導入を成功に導く具体的なプロセスを紐解いていきます。
経営陣の8割超が「DXで優位性を作れない」と回答。SaaS導入を阻む「組織の壁」の実態
SaaSビジネスが抱える構造的な課題は、客観的なデータにも明確に表れています。アイティクラウド株式会社が実施した調査によると、企業の経営者の85.1%が「デジタル企業として優位性を確保できていない」と回答しています。そして、過去にSaaS製品の導入に失敗した経験があるかという問いに対し、実に67.4%もの経営者が「失敗経験あり」と答えている事実があります。


引用:SaaS製品選びに関する経営者の実態調査 | ITreview
この背景には、システムの機能的な不備やバグといった技術的な問題だけではなく、組織の構造的・人間的な要因に根ざした課題が存在すると考えられます。同調査でも失敗の要因として「期待値が上がりすぎた」「運用ルールが定まっていなかった」といった、要件や運用の不一致が多く挙げられています。
こうした構造から生じる障壁の一つが、システム導入を決定する「本部」と、実際に利用する「現場」との間に生じやすい意識のギャップです。本部は「全社的なコスト削減」や「データの一元管理」を目指す生存戦略としてDX導入を決定する一方で、現場は「今の自分の業務がどれだけ楽になるか」「新しい操作を覚える手間が増えないか」という短期的な視点に関心が向きます。目的のズレが、現場が新しいシステムを受け入れる際の心理的なハードルへと繋がるのです。
長年培ってきた独自の運用フローや、Excel等のローカルツールに過剰に最適化されている現場に対し、本部の意義や導入のメリットが十分に共有されなければ、現場は旧来のプロセスを維持しやすくなります。結果としてシステムの利用率が上がらず、チャーンに至るリスクが高まる構造と言えるでしょう。
「ツールの案内人」からの脱却。業務変革を伴走するプロジェクトマネージャーへ
客観的なデータが示す通り、エンタープライズ領域におけるSaaS導入は、単なる新しいデジタルツールの配布だけでは不十分なケースが多いものです。長年培われてきた既存の業務フローの見直しや、部署間の権限の整理など、組織の業務改革を伴う一大プロジェクトだと言えるでしょう。
現場の視点で見ると、この事実はより明確になります。私自身、エンタープライズ向けSaaSを提供するクライアントを担当する中で、導入から定着に至るまでに生じる様々な課題を最前線で経験してきました。
多店舗を展開するような大企業や、複数の事業部を持つ組織へのシステム導入は、アカウントを発行して「マニュアルを見て使ってください」で済むことはほとんどありません。本格導入の前に特定の部署で実証実験(PoC)を行い、現場の実際の業務に合わせた要件定義を重ね、既存の社内システム(基幹システム等)との連携設計を行うなど、全社展開されるまでに多くの工数と時間を要する「一つのプロジェクト」として進行します。
そう考えると、決裁のハードルも高く、経営層へROIを定量的に提示するプロセスの重要度も高まります。この背景には、現場の末端までシステムを定着させるために、顧客の本部体制を巻き込みながら業務フローを再編していくアプローチが不可欠だという事実があります。
日々の現場の課題に向き合う中で、このフィールドにおけるカスタマーサクセスのあるべき姿は、操作説明に特化した「ツールの先生」ではないと考えるようになりました。顧客の運用フローの再設計に深く伴走し、情報システム部門、事業部門、経営層といった複数のステークホルダーを巻き込みながらプロジェクトを推進する「エンプラ・PM型」としての視点を持つことが、本質的な価値創出に繋がると言えるでしょう。
エンプラ攻略のジレンマ。SMBの「テックタッチ」化で生み出した工数をどう活かすか
近年、多くのSaaS企業が顧客生涯価値(LTV)の向上を目指し、エンタープライズ領域への進出(アップマーケット展開)を強化しています。その際、組織戦略としてよく取られるのが、比較的小規模な中堅・中小企業(SMB)セグメントのサポートを自動化ツールや動画コンテンツを用いた「テックタッチ」へと移行させるアプローチです。
ビジネスの規模が拡大するほど全顧客への人的支援はコストや労力が膨れ上がるため、SMB領域でのスケーラビリティをテックタッチで確保し、そこで浮いたリソースをエンタープライズ企業の「ハイタッチ」支援に集約させるという狙いがあります。
引用:カスタマーサクセスとカスタマーサポートの違いとは?7つの観点から解説 | テックタッチ
しかし、ここで直面するのが「エンタープライズ案件はテックタッチでの自己解決が極めて難しい」という現実です。大企業は部門ごとに異なる独自の業務フローや、厳格なセキュリティ要件、多重承認プロセスを抱えています。そのため、SMB向けに成功した洗練された汎用マニュアルを一斉配信しても、大企業の現場担当者がそれを自部門の複雑な業務文脈に翻訳して自走することは極めて困難です。
効率化によるスケールを前提とするSaaSの事業モデルと、泥臭い人的介入や業務整理を必要とするエンタープライズ企業の要件。この相反する2つの要素のバランスをいかに取るかが、多くのカスタマーサクセス組織を悩ませるジレンマとなっています。こうした構造から考えると、SMBのテックタッチ化で生み出した貴重な人的リソースは、単なる手厚い「操作説明」に消費するべきではありません。顧客の運用フローにまで踏み込み、プロジェクトマネジメントの手法を用いて組織変革を牽引する「エンプラ・PM型」の活動にこそ、その工数を投資する必要があると言えるでしょう。
現場の自走へ導く「ハードとソフト」の4ステップ
エンタープライズ導入という難易度の高いミッションを成功に導く「エンプラ・PM型」のカスタマーサクセスは、担当者の属人的な対応能力だけで乗り切ることは困難です。業務改革プロジェクトを推進するためには、大きく分けて2つの次元のフレームワークを統合してアプローチを行う手法が有効とされています。
第一の目標は、品質・コスト・納期(QCD)を最適化し、プロセスの無駄を省く「ハード面のマネジメント」です。第二の次元は、利用者の心理的なハードルを下げ、行動の定着を促す「ソフト面のマネジメント」であり、これら両輪を同時に回す必要があります。組織を動かし、SaaSの定着へと導く実践的な4つのステップを見ていきましょう。
【ステップ1】現状業務の可視化と変革への共通認識の形成(As-Isの把握)
プロジェクトの初期段階において、すぐにプロダクトの画面を開いて機能説明を始めることは避け、まずは顧客の現状業務(As-Is)の全体像を正確に把握することに注力します。

※図版イメージ:Geminiにて作成
ここでは、ビジネスプロセスモデリング表記法(BPMN)などを用いながら、現場のキーマンへヒアリングを行い、実際の業務フローを可視化します。誰が、いつ、どのような情報をインプットし、誰の承認を得て次の部署にパスしているのかを客観的な図解に落とし込みます。これにより、隠れていた多重承認プロセスや、特定の担当者に依存した属人化業務が明らかになります。

※図版イメージ:Geminiにて作成
この現状分析のプロセス自体が、チェンジマネジメントの代表的なフレームワークである「ADKAR(アドカー)モデル」の最初の段階、「変革の必要性の認知(Awareness)」と「参加への欲求(Desire)」を組織内に醸成するきっかけになります。非効率な部分を可視化して共有することで、現場担当者も業務改善への前向きな動機付けを得やすくなると言えるでしょう。
【ステップ2】運用フローの再設計とルール策定(ECRSの適用)
As-Isの課題が洗い出された後は、SaaSの標準機能が想定している『理想の業務プロセス(To-Be)』を参考にしながら、新しいフローを設計するフェーズに移行します。ここでは、業務改善の4原則である「ECRS(排除・結合・交換・簡素化)」の視点を顧客と共に持ち、プロセスを整理します。

※図版イメージ:Geminiにて作成
目的が曖昧な報告業務を排除(Eliminate)し、複数の部署で重複管理されていたデータを結合(Combine)し、承認の順序を並列に組み替えて(Rearrange)スピードを上げます。この段階で、顧客からの「今の画面と同じ見た目にしてほしい」という既存業務に寄せたカスタマイズ要求を一度疑ってみる必要があります。無理なカスタマイズは後々の運用負荷を高めるため、SaaSの標準機能に合わせたシンプルな運用ルールへと簡素化(Simplify)していくことが重要です。新しい業務ルールが確定して初めて、業務文脈に沿ったシステム操作の知識の提供が活きてくると言えます。
【ステップ3】業務に即したコンテンツ提供による自立支援(Abilityの構築)
To-Beに向けたテスト運用が始まるフェーズにおいて、カスタマーサクセスは「サポート工数をかけないと定着が進まないが、手厚くしすぎると顧客の自立が遅れる」というジレンマに直面しがちです。この状況を緩和し、現場がシステムを使いこなす能力(Ability)を構築するための戦略が、セルフサービス化に向けたコンテンツの提供です。
属人的なハイタッチサポートだけに依存せず、顧客が自らのペースで学べるよう、業務フローに適合したマニュアルや動画コンテンツを用意します。ここで重要なのは、長時間の研修動画を押し付けるのではなく、学習コンテンツを細かく分割して提供する点です。
例えば、Google Cloudが提供する生成AIの学習プログラムなどでも、複雑な概念を10分から30分程度の短いモジュールに分けた「マイクロラーニング」の形式が採用されています。
引用:初級:「生成 AI の概要」学習プログラム | Google Skills
この背景には、長時間の研修動画が学習者の認知負荷(情報処理の負担)を高めてしまうという課題があります。学習単位を短く切り離すことで、「まとまった時間が取れない」という現場の心理的なハードルを下げる効果があります。こうした工夫により、「特定の操作でつまずいた際に、必要な箇所だけをピンポイントで検索・視聴できる(Just-in-Time学習)」という実用上の大きなメリットももたらします。現場の担当者が日常業務の隙間時間で効率よく自己解決できる環境を整えることが、結果としてシステムの定着を加速させると言えるでしょう。
カスタマーサクセスのKPIについても、定例打ち合わせの回数ではなく「提供コンテンツの視聴時間」や「顧客自身による独自マニュアルの作成量」などに比重を移していくアプローチが有効です。顧客組織の内部で資料が作成され始めた状態は、「自走」に向けた明確な一つの目安となります。
【ステップ4】マネジメント層との連携と運用ルールの定着(リインフォース)
SaaSの全社展開が最終局面に差し掛かると、従来のやり方にこだわる部署や、新しいシステムへの移行に抵抗を感じる部署や担当者が現れることがあります。これは行動を維持・定着させるための「リインフォース(Reinforcement:定着)」の仕組みが十分に機能していない状態と考えられます。
現場への操作案内だけでは、こうした組織的な課題を解決することは困難です。エンプラ・PM型のカスタマーサクセスは、一歩引いてプロジェクト全体を見守り、現場への浸透が遅れていると分かった時点で、顧客企業のマネジメント層に対して適切に状況報告(エスカレーション)を行います。
「このままでは想定していた業務効率化の目標に届かない可能性があるため、〇月末をもって旧システムでの申請フローを終了するアナウンスをお願いできないでしょうか」といった、ガバナンス強化に向けた具体的な提言を行います。こうしたアプローチにより、新しいシステムの利用状況を社内評価の仕組みに組み込むなど、後戻りしにくい運用ルールを顧客の経営層と共に構築し、新しい業務プロセスを完全に定着させていくことが重要です。
まとめ
エンタープライズ企業へのSaaS導入において見られる定着の遅れは、ソフトウェアの機能的な問題だけが原因ではないケースが多いものです。本部と現場という組織間の認識のズレや、業務変更を伴うチェンジマネジメントの不足によって引き起こされる、構造的な課題と言えるでしょう。
この壁を乗り越えるためには、カスタマーサクセスが単なる操作案内の枠組みを広げ、業務プロセスの最適化を目指すハードスキルと、利用者の心理的な変化に寄り添うソフトスキルを統合した「エンプラ・PM型」のアプローチを取り入れることが有効です。
既存の運用フローの見直しに伴走し、現場の反応を予測して対策を講じ、時には経営層へ客観的な助言を行う。こうしたプロジェクトマネジメントの視点を持つことで、SaaSは単なるITツールから、企業の生産性を高める経営基盤へと近づいていくはずです。
アディッシュでも、単なるツールの操作案内にとどまらず、業務プロセス全体の最適化を目指す視点を持つ人材育成と組織体制の構築に力を入れてまいります。

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